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<ノベル>
−−東京 1日目AM9:00
遠征チームは東京都内に到着してすぐに、まずは腹ごしらえをすることにした。二日しか猶予がないにしてはのんびりしているような気もするが、そもそも急ごしらえのチームであり、それぞれがどのように動くのかさえ十分に話し合いできていない状態であったため、食事イコール作戦会議でもあった。
その重要な作戦会議は、池袋にあるとあるファーストフード店で行われた。
「まずはそれぞれの意見を出して、行動をまとめておきましょう」
そう提案したのは二階堂美樹(にかいどう みき)だ。彼女は遠征チーム内で最年長であり、ジャンルは多少違っていたとしても捜査のプロであったので、佐野原冬季(さのはら とうき)よりリーダーを任されていた。
実は正確に言うと、最年長はムジカ・サクラだったのだが、彼は「ガキのお守りなんざやってられるか」と今は別行動をとっている。
「私はビルの清掃スタッフになりすまして潜入しようと考えているわ」
オレンジジュースのストローをつまみながらまずは美樹が自身の考えを明かす。
「潜入中はICレコーダーですべての音を拾うわ。できれば、事務所のスタッフにも話を聞くつもり」
「はー、さすがプロが違うッスねー」
長谷川コジロー(はせがわ こじろー)がハンバーガーをほおばりながら感心した。
「コジローくんはどうしたらいいと思う?」
「そうッスねー まずはちょっと確かめたいことがあるんス。『市民の会』会長の田原坂俊夫(たばるざか としお)って人なんスけど、そもそも本物なんスかね?」
「誰かがなりすましてる可能性はないかってこと?」
コジローはハンバーガーの最後のひとかけらを呑み込んでから、うなずいた。
「なるほど、その可能性もあるわね」
「もし本物の田原坂俊夫がこの東京にいるとしたら、それだけで物的証拠になるッス。『市民の会』会長が偽物ってところから、切り崩せると思うんスよね。それから、もしかしたら――」
「もしかしたら?」
「今回の汚職事件が『市民の会』の陰謀だったとすると、市長が接待に使ったっていうムービースターもグルの可能性が高いッスよね。で、そのムービースターも偽物の可能性があるんじゃないかと思うんス。考えすぎかもしれないけど、スターじゃない誰かがスターを演じてたんじゃないかって」
「汚職に関わったスターを演じてた役者がいるってことね」
「ええ。それも調べたいんスよね。だから、オレは情報収集のために外回りしてくるッス」
「アテはあるの?」という美樹の問いに、「まかせといてください」と胸を叩いて、お約束のようにむせる。
「あたしもコジローといっしょに行くよ」
須哉逢柝(まつや あいき)が軽く手を挙げた。
もともと彼女は、有名な若手空手家として新聞記者から取材を受ける予定だった。取材場所が東京であったため、今回はうまくそれを利用しようと思い立ったのだ。
「ちょうどいいから、あたしを取材するっていう記者をツテにして、いろいろと情報を仕入れてくる。それだけだと時間はあまりかからないだろうから、あとはコジローを手伝うぜ」
ここで自然と全員の視線が、最後のひとりに集まる。白木純一(しらき じゅんいち)だ。
彼はポテトをつまみながら、何事かをメモしていた。皆の視線に気づき、顔をあげる。
「ん? これ?」
そう言ってメモをまわす。そこには、『市民の会』事務所にて調査すべきものが列挙してあった。
「俺は美樹さんといっしょに事務所に行きます。会長の演説に感銘を受けたとかなんとか言って、うまく所員に取り入りますよ」
彼は彼で何か思うところがあるようだ。ただし、今の段階ではなんの証拠もない憶測に過ぎないため口にしないのだろう。
「じゃあ、私と純一くんが『市民の会』の事務所へ。コジローくんと逢柝さんが、情報収集のため動き回るってことね」
最後に美樹が真剣な顔で言った。
「みんな、くれぐれも無茶はしないようにね。ここは銀幕市の外。魔法なんか存在しないし、映画みたいな都合の良い展開もなかなか起こってくれないんだから」
コジローも純一も逢柝も、一様に緊張した表情でうなずいた。
−−銀幕市 東京遠征前日
ムジカ・サクラは銀幕署内にある拘置所を訪ねていた。ある男に面会するためだ。
接見室で向かいあわせに座った瞬間、ムジカはあからさまな嫌悪に口元を歪めた。
「おまえ、生きてるのか死んでるのかどっちだ?」
初対面の相手にする質問ではない。
男はどんよりと濁った瞳をしばたたかせ、「私は尊師様の御期待に添えなかった――」と口を開いた。
「――そういう意味では死んでいるのだろう」
彼は少し前に、『アヤカシの城』という映画から実体化した世界で、九神城を襲撃した軍隊のリーダーを務めていた者だった。ギャリック海賊団の一員に麻酔銃で撃たれ、それ以来ここに危険人物として抑留されている。
ムジカは今回の件に同じ黒幕の存在を感じ取り、なんらかの手がかりが得られないかと考えたのだ。東京遠征の際に、あわよくばこの男に通じる何かが見つかれば、といった程度のものではあったが。
「顔やプロフィールは市役所のデータベースで確認したんだけどな。直接会っておくのもいいかと思って来てみたんだが意味なかったみてぇだ」
存在する目的を失った者から何が得られるというのだろう。
「じゃ、達者でな」
さっさと接見室の席を立つ。自分から面会を希望しておいて、身勝手なムジカの行動だ。しかし、男はそれにも興味を示さない。
「東京でその尊師とやらに会ったらよろしく伝えといてやるぜ」
それは単なる捨てぜりふのつもりだった。深い意味もなく発した別れの挨拶だ。
男が急にムジカに飛びかかった。いや、すがりついた。
「もし――」
男が束の間生き返った目でムジカを見上げる。
「もし、尊師様にお会いするようなことがあれば、是非伝えてくれ! アルバート・リィはもはや尊師様の理想達成のお役に立てそうもないことを! そのことを心の底から悲しんでいると!」
ムジカは舌打ちをひとつ鳴らすと、男を振り払った。
「男にすがりつかれても嬉しくもなんともねぇよ」
そのまま接見室を出て行く。監視役の警察署員がようやく男を取り押さえにかかった。
アルバート・リィは薄汚れた天井に向かって、尊師に対する謝罪の言葉を紡ぎつづけている。
ムジカの胸中に、尊師の掲げる理想というものに対する興味が少なからず芽生えた。
「尊師とやらに会ったら訊いてみるのもいいな」
−−東京 1日目AM11:00
美樹と純一は、コジローと逢柝と別れてすぐにタクシーを拾った。本件の調査にかかった経費はすべて依頼者持ちだったし、なにより時間が惜しい。
まずは美樹が清掃スタッフになりすますため、目標のビルに社員を派遣している清掃会社へと向かう。そこで、警察手帳を見せ、簡単に事情を説明し、清掃員の制服を借りた。
さっそく袖を通した美樹が、ジト目で純一をにらむ。
「ちょっと純一くん、笑いこらえてない?」
「べ、べつに笑ってなんかいませんよ」
「ホントに? やたら似合ってると思ってるんでしょ?」
「…………」
「ちょ、なんで無言なのよ!?」
そういったやりとりのあと、美樹は清掃会社の車で、純一はタクシーで、『市民の会』の事務所があるビルに向かった。
『市民の会』の事務所は池袋駅から少し離れた場所に立つ、20階建ての高層ビルの17階に入っていた。各階ごとに様々な企業が間借りしている、いわゆるオフィスビルだ。1階のエレベーターの横には各階の企業名を示したプレートが貼ってあり、そのほとんどが聞いたこともないような中小企業の名を刻んであった。中には『健康促進パワーシール営業促進部』などといったあやしい名前もある。
美樹は清掃会社で教わったとおり、まずは1階の守衛室へと向かった。そこで、清掃許可を得るのだ。
ちらっと背後へ視線を走らせると、スーツ姿に着替えた純一がエレベーターで17階に向かうのが見えた。彼は正面から事務所を攻める。
美樹は少しの情報も逃すまいと、ポケットに入れたICレコーダーの録音スイッチを押した。
−−同時刻
「ムービースターを排斥しようなんて、ぜんぜん納得いかないッスよ。ね? 蝶々サマもそう思うって言ってるッス」
池袋駅近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら力説するコジローに、逢柝は蝶々サマについてツッコミたくなったが、かろうじて思いとどまった。なんだか不毛な会話になる気がしたからだ。
「ま、あたしもその点は賛成だけどな」
彼女にもムービースターの知り合いはたくさんいる。その温かさや優しさは、いま確かにここに居る者として、頑とした存在感を示していた。人権がないとか、法律上は存在しないとか、そういったことは彼女には関係ないのだ。
「須哉逢柝ちゃん、だね?」
待ち人が現れたのは、それからしばらくしてからのことだ。逢柝の取材に来た記者は、ラフな格好で気さくな感じのおじさんだった。
「はい、今日はよろしくお願いします」
こういう場合の礼節の尽くし方は、嫌々ながらも師匠から骨身にしみる指導を受けている。逢柝は立ち上がって頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく」
そこで記者がコジローに気づいた。
「あれ? 君は……長谷川小次郎くん?! どうしてここに?」
「逢柝さんとは友人なんスよ」
コジローもまた立ち上がって挨拶する。
あらかじめ逢柝に記者の名刺を見せてもらったときに気づいたのだが、以前にコジローも取材を受けたことのある雑誌だったのだ。そのときの担当もこの記者だった。
「いやぁ、まさか空手界のスーパー少女と水泳界の天才児、その両方に一度に会えるとは思ってもみなかったよ」
記者が笑いながらコーヒーを注文する。
「さて、さっそくだけどいろいろ質問させてもらっていいかな?」
「その前に」
さっさとメモ帳を取り出した記者に、コジローが待ったをかけた。
「オレのこともいっしょに記事にしてもらってかまわないんで、いくつか記者さんの力で調べてもらいたいことがあるんス」
「ほぅ、いったい何を調べてもらいたいんだい?」
「銀幕市長の汚職事件について」
コジローの代わりに逢柝が答えた。
記者の両目がほそまった。意味ありげにニヤリと笑う。
「ははーん、なるほど。銀幕市民である君たちには見過ごせない問題ってことだね。いいよ。できるだけ力になろう。ただし、取材が終わってからだけどね」
逢柝とコジローは、情報を得る対価として、時間を差し出したのだった。
−−東京1日目 PM12:00
「ねぇ、そこの――」
背中から声をかけられ、美樹はびくりと肩を震わせた。
清掃員に化け目的の事務所にうまく侵入した彼女は、昼休みで人の姿がまばらになったことを利用し、室内の各ゴミ箱をあさっているところだった。もちろん、なにか証拠になるようなものがないか探すためだ。
なにか不審に思われたのだろうか。美樹は動悸を抑えつつ振り返ろうと――
「――そこのおばちゃん。こっちのゴミも持っていってよ」
「って、誰がおばちゃんですって?!」
作戦目的などすっかり忘れ、ものすごい勢いで振り向いた。
ゴミ箱を手に唖然とする事務員。
美樹もそこで、はたと我に返る。
「あ、あの、わ、わかりましたっ」
ひったくるようにゴミ箱を奪い取り、あわててその場を立ち去った。
「うぅ、あぶないところだった」
非常階段の踊り場で額の汗をぬぐう。予想外のヘマに我ながら情けなくなる。
美樹は、ひとしきり凹んだあと、持ち前の前向き精神でさっさと立ち直ると、集めたゴミを検分しはじめた。RTB旅行社および柊市長に関する書類が、ひとかけらでも混じっていればと思っていたのだが、さすがにそれほど不用心ではないようだ。めぼしいものは何も見つからない。
「事務所にはちゃんとシュレッダーがあったもんなぁ。やっぱり無理か」
美樹はさらに気を取り直して、次の作戦にうつることにした。純一がつくったメモを取り出し、調査物を確認する。
右手にモップ、左手にバケツを掲げ、若き清掃員は掃除と調査を再開した。
そのころ、純一もまた事務所に潜り込むことに成功していた。
事務所の受付で、田原坂会長の演説に感銘を受けた旨を伝えると、意外とあっさり中に通された。
これだけガードが甘いなら、組織の末端は何も知らないのかもしれない。純一はそう思いながら、応接室で日本茶をすすっていた。つまり、ここにいる事務員たちは本当に田原坂の思想に共感した人たちである可能性が高いということだ。
ドアがノックされる。入ってきたのは人の良さそうな中年男性だった。
「申し訳ございません。田原坂会長は、いま銀幕市に出向いておりまして。私、会長を補佐しております、山梨(やまなし)と申します」
へこへこ頭を下げる山梨に、純一も立ち上がって挨拶をする。
会長の補佐とは秘書のようなものだろうか。予想以上の大物の出現に緊張したかというと、実はそれほどでもない純一だ。もともと楽天家であり、最後はなんとかなるだろうと無意識に、確信めいたものを抱いているタイプだ。
事前に仕入れた知識を総動員して、山梨との雑談に花を咲かせる。随所に、柊市長への批判や、田原坂への追従を盛り込むのを忘れない。
「ところで、ひとつ不思議に思っていることがあるのですが」
時機を見てカマをかけてみる。
「『銀幕市を救おう市民の会』と銘打っているのに、会長はどうして事務所を東京につくられたのでしょうか? 銀幕市につくる方がなにかと便利なのではありませんか?」
「白木さんはご存知ないのですね」
山梨が声のトーンを落とした。
「何をです?」
思わず身を乗り出す。
「銀幕市はその特殊性から……」
「特殊性から?」
「地価がとても高いのです。市内のビルに事務所をかまえようと思っても、我々のような一般市民団体ではとても手が出ないような莫大な賃料がかかるのですよ」
そう言って、照れたように笑った。
山梨は何も知らされていないのかもしれない。ソファからずり落ちそうになりながらも、純一はつづけて質問する。
「正義を貫くにもお金が必要なんて、世知辛い世の中ですね。今回の銀幕市長のリコール運動にもたいへんな資金が必要だったのではないですか?」
「ええ。でも、田原坂会長はみずからの私財をなげうって事を為そうとしていらっしゃいます。銀幕市民のために、と」
山梨の表情は尊敬一色に染まっているように見受けられた。これは戦法を変えるしかない。
人から情報が得られないなら、物から得るしかない。そうなってくると、美樹の双肩にすべてかかってくる。
純一は自分の役割を、美樹の補助へと切り替えることにした。
「山梨さんのお話しは素晴らしいです。もっと山梨さんとお話したいのですが……今夜、お食事をご一緒できませんか? そして、是非僕も『銀幕市を救おう市民の会』の活動にご協力させていただきたい」
そこで山梨が初めて渋い顔をした。
「申し訳ありませんが、明日は大事なお客様がいらっしゃいますので、今夜は……」
「そうですか。いきなりお誘いしてこちらこそすみません」
「代わりと言ってはなんですが、これから昼食でもどうでしょう?」
「それでけっこうです」
純一は山梨の申し出を受けながら、大事なお客様についてあれこれ考えを巡らせていた。
会長である田原坂をお客様と表現するのはおかしいだろう。だとすれば、いったい誰が明日ここに現れるというのだろう……
興奮と不安とがない交ぜになった感情が、純一の胸をちくりと刺した。
−−東京 1日目PM2:00
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件ですか?」
満面の笑みで迎える受付嬢に、どこか皮肉げな笑みを返して、ムジカはカウンターの椅子に腰を下ろした。
東京に多少遅れて到着した彼は、まっすぐにRTB旅行社の本社屋へと足を向けた。『市民の会』の事務所は他のメンバーが調査対象にしているだろうと判断した結果だ。
「あのさ、最近流行ってるほらあれ。なんて言ったっけな。テレビでも話題になってる――」
「ああ、銀幕市ムービースター見学ツアーのことでしょうか?」
「そう、それ! それについて訊きてぇんだけど」
「現在、銀幕市へのツアーはすべて中止されているんです。申し訳ありません」
作り笑顔のまま、柳眉を寄せる。
「なんで?」
「どうしてと訊かれましても……」
受付嬢はそこで口ごもってしまった。自分の会社が汚職事件の容疑者として取り沙汰されているから、とはさすがに社員の口からは言えないだろう。知っていて訊ねるムジカもそうとう意地が悪い。
「じゃあ、パンフだけでいいや。パンフ見せてくれよ」
「ですから、銀幕市ツアーはすべて中止ですので、パンフレットをご覧になってもツアーは実施されていませんが」
「それでもいいや。せっかくここまで来たんだから、パンフくらいは拝んで帰らねぇとな」
にっと唇の端を歪めるムジカに、受付嬢は戸惑いながらもパンフレットを取り出した。
パンフレットを一頁ずつ丁寧にめくっていくムジカ。片手が胸ポケットに伸び、煙草を一本取り出す。
「お客様、申し訳ございません。ここは禁煙です」
ムジカは無言で、煙草をかみ砕いてみせた。断面の茶色から、甘い香りがただよう。シガレットチョコだ。受付嬢は「申し訳ございません」ともう一度謝りながら頬を赤らめた。
ムジカはすべての頁に目を通すと、「ありがとよ」と言ってパンフレットを受付嬢に返した。
立ち去っていくムジカの脳内にはパンフレットのすべてのデータが記録されている。完全記憶(パーフェクト・メモリー)は彼の生まれつきの能力だった。
−−東京 1日目PM4:00
これといった情報を何も得られないまま、美樹は田原坂会長の部屋へと足を踏み入れた。会長の部屋も掃除するようにと、補佐役の山梨から指示されたので堂々と入り込める。
その山梨と昼食をともにしていたらしい純一とは、1時間ほど前に事務所内ですれ違った。その際にそっと手渡された小さな紙切れには、山梨を筆頭に、ここの職員は裏事情はまったく知らされていないように見受けられるといった内容のメモが走り書きされていた。
だからこそ、こうも無防備に会長の部屋を掃除させるのだろう。
このままでは1日目が無駄に終わってしまうかもしれない。焦燥感に背中を押されつつ、美樹は掃除するふりをして室内をくまなく調査した。
「ダメだわ……」
しかし、思わずため息がもれるほど、見事に何も出てこない。
事務員のほとんどが(もしくは全員が)会の秘密を共有していないとして、会長の留守中に誰かが秘密につながる何かを偶然見つけるかもしれない。そういった心配もなく、こうして会長自身が頻繁に銀幕市へと足を運んでいるのだから、本当にここには何もないのか、よほど巧妙に隠されているかのどちらかだろう。
冷や汗をぬぐいつつ、壁にかかった時計を見ると、もう30分以上も田原坂の部屋に居座っていた。これ以上は、さすがに怪しまれてしまう。
しかたなく退室しようとしたとき、ふとデスクの上の電話機が目にとまった。どこにでもあるオフィス専用の電話機だ。
もしかしてと思い、受話器を手に取る。リダイアルのボタンを押した。
果たして、呼び出し音のあとに聞こえてきたのは、若い女性の声だった。
「はい、こちらRTB旅行社社長室でございます」
「あ、すみません。お掃除中にリダイアルボタンか短縮ボタンを押しちゃったみたい」
とっさに嘘をついて、電話を切る。
RTB旅行社と言えば、『市民の会』が柊市長とともに疑惑を追及している相手だ。広報室や受付けにつながる電話なら、あるいはここからかけるかもしれない。しかし、社長室直通となると話は少々違ってくる。
「とにかく、『市民の会』とRTB旅行社には、なにかしらのつながりはあるってことね」
もう一度壁時計を確認する。そろそろ潮時だ。今日のところはこれで満足するしかなさそうだった。
−−東京 1日目PM7:00
某ホテルの一室に、東京遠征メンバーの全員が集まっていた。
男子用として用意された部屋にはベッドが三つある。美樹、逢柝、コジローは思い思いにベッドに腰かけ、純一は部屋に備え付けの椅子に座っていた。ムジカだけは、ベランダに通じるガラス戸の前でソファに身を沈めている。唇にはシガレットチョコ、だ。
「今日一日の成果を報告しあいましょう。それから、明日の対策を立てなくちゃね」
美樹がまず清掃員として事務所に潜入した結果を伝える。
「まず、純一くんから指摘があった分から報告するわね」
そう言って、今朝がた純一が作成した調査リストを取り出した。
「最初に、郵便物ね。郵便受けに入っていた分と、事務所の書類棚なんかに仕舞われてた分をチェックできるだけチェックしたんだけど、特に怪しそうなものはなかったわ。あとは、出納帳や書類の類ね。これは私も関連書類を探そうと考えてたんで、できる限り、それこそゴミ箱の中まで調べたんだけどね。なにも出なかった。それから、事務員からさりげなく情報を引き出そうとしたんだけど、みんな『市民の会』の理想に燃えてるって感じで――」
かぶりを振る美樹のあとを、純一が継ぐ。
「俺も田原坂会長の補佐をしているっていう山梨って人物に会ってきたんだけど、本当に何も知らない様子だったんだよね。ただ会長に心酔してるってだけで。だとしたら、事務所内の人物から情報を、さらには物証を手に入れるのは至難の業じゃないかな。相手は隠してるんじゃない。もともと知らないんだから」
静寂が落ちた。相手が知らないものを、どうやって聞き出せというのか。
「だけど、収穫はゼロじゃなかったのよ。田原坂会長の部屋に備え付けてあった電話機でリダイアルしてみたの。そしたら、RTB旅行社の社長室に直接つながったわ」
「社長室に直接ってのは怪しいッスねー ねぇ、蝶々サマ?」
コジローが背後に向かって語りかけているが、とりあえず誰もツッコまない。もっと重要なことがあったからだ。
「『市民の会』は、汚職疑惑に関してRTB旅行社を追求しているからね。田原坂会長がRTB旅行社に連絡をとるのはおかしくないんだけど、社長室に直通というのはあり得ない。普通は広報室なんかが対応するだろうし」
純一もこの点は収穫だと思っている。少なくとも『市民の会』とRTB旅行社に特別なつながりがあると確信できたからだ。
「あとはね、これ、私が録音してきたICレコーダーの記録ね。なにも手がかりはなかったように思えるんだけど、一応聞いてみる?」
それから、重苦しい沈黙の中、ところどころ早送りをしつつ、会話記録を全員で聞いた。途中、「誰がおばちゃんですって?!」の部分で、コジローと純一が吹き出して美樹に睨まれる出来事があったものの、特に得る物もないままに聞き終わってしまった。
「なんだか、さっそく手詰まりって感じじゃね?」
聞き疲れた逢柝がベッドに倒れ込む。
「そっちはどうだったんだ?」
純一が訊ねると、記者に頼んで調べてもらったことも含め、コジローが報告する。
「最初にあれッス。田原坂会長が偽物なんじゃないかって推理。あれは間違ってたッス。田原坂俊夫って人は、きちんと本物みたいッスね。ただし、記者さんに経歴をざっと調べてもらったんスけど、どこからどう見ても銀幕市との接点がないんスよねー 興味を持ってたことすら怪しい。たいてい銀幕市に興味を持ってる人ってのは、映画鑑賞が趣味だったりするッスよね? それすらないんスから」
「銀幕市の、映画や魔法じゃない部分に興味持ってたってことだろ。たとえば、金とかさ」
寝転がったまま逢柝が皮肉げに言った。
「次に、市長が金を渡したっていうムービースターが偽物なんじゃないかって話しッス。これもなさそうッスね。記者さんに聞いた話なんスけど、ムービースター見学ツアーの途中に、スターの特殊な能力を見せる出し物みたいな内容が組み込まれてるらしいんスよー それって、スターを演じている俳優じゃ実現不可能なものが多いッスよね?」
「たしかに、魔法を使ったり、変身したり、身体能力が高かったり、そういった部分を見せ物にしていたんなら、本物のスターじゃないと無理だな。でも、そういった特別過ぎる能力を持たないムービースターだっているだろう? そういうスターは今回の件にかかわっていなかったのかな?」
純一が思惑ありげに言った。
「ふつうの人間でも演じきれるスターってことッスよね。それはオレも考えたんッスけど、なにせスター見学ツアー自体が中止になってて、すぐには資料が手に入らなかったんスよ。ツアー参加客の名簿とかあれば、そこからたどれたりするかもしれないんスけど……」
「映画『アリエ王国興亡記 第一章』よりアルサナス王」
声の主に全員の視線が吸い寄せられた。ムジカだ。
彼は外の夜景を見つめたまま、すらすらと言葉を紡いでいく。
「『戦場の夕闇』よりジョンソン軍曹、『ストレインジマン』よりストレインジマン――」
「それってもしかして……」
美樹がベッドからがばっと立ち上がった。
「昼間、RTB旅行社に行ってきた。そんときにパンフレットを見た」
「見ただけで覚えたの?!」
ムジカはにやりと笑って、何も答えなかった。
逢柝もコジローも純一も、ムジカが並べたすべての映画を観たことがある。だから、結論は同時だった。
「『戦場の夕闇』のジョンソン軍曹!」
「ああ。普通の人間が演じられる可能性があるとして、そいつだけだろうな」
ようやくムジカも会議に参加する気になったのか、皆の方に向き直った。
「さらに言えば、ジョンソン軍曹を演じた俳優――スティーブ・沢木は、映画『餓えた狼たちの砲火』でアルバート・リィ役も務めてるな」
「スティーブ・沢木?! アルバート・リィ?! ええっと、どこかで聞いた気が……」
純一が眉間にしわを寄せ、天井を見上げる。
「あ……! あれッスよ! あれ! しばらく前に『アヤカシの城』って記事がジャーナルに載ったんス! そのときに、捕えられた軍人スターがアルバート・リィッスよ!」
「あの、尊師とかいう胡散臭い奴の手先?」
美樹も思い出したとばかりに手を打った。
「そう、それッス!」
「なんだか、いろいろつながってきたんじゃね?」
いつの間にかやる気を取り戻した逢柝が身を乗り出していた。
「どうしたの、純一くん?」
美樹が不思議そうに見つめる先で、純一が会心の笑みを浮かべていた。
「ひとつ、調べたいと思っていたことがあって。今回の柊市長の汚職事件が明るみに出たのは、市長から金を受け取ったというムービースターのひとりが罪の意識に駆られて『市民の会』に情報提供したからなんです。そのスターが――」
「もしかして?!」
「たしかジョンソン軍曹です」
「じゃあ、ジョンソン軍曹が偽物って可能性があるのね! まぁ、偽物というか、俳優のスティーブ・沢木が演じてるってことだけど」
「その可能性はありますよ。なにせジョンソン軍曹は、罪の告白のあと行方知れずと言いますから」
「もしかしてさ」
逢柝が興奮のあまり立ち上がって言った。
「そのジョンソン軍曹の罪の告白? 告発って言うのか? それがもともと『市民の会』の仕組んだことだってわかれば、市長の無罪を証明できるんじゃねぇか?」
「RTB旅行社と『市民の会』に何かしら裏のつながりがあるのは、リダイアルの件でわかってるんだから。汚職からそれが発覚してリコール運動が起こるまでの一連の流れすべてが、RTB旅行社と『市民の会』の自作自演だという可能性はあるわよね。問題は、そのスティーブ・沢木が今どこにいるか、ね。どうやって捜せばいいのかしら。警察関係者に頼むっていってもあまり時間は残ってないし」
そこで、コジローが悪の黒幕のごとく「フッフッフ」と笑い出した。
「蝶々サマのアドバイスのおかげッスね。実は、スター見学ツアーで市長からお金を受け取ったっていうムービースター。その顔がわかればすぐに照合できるよう、『市民の会』の主立ったスタッフの顔写真を前もって準備してきたんス! ツアーのムービースタが偽物なんじゃないかって推理してたッスからね。偽物なら、『市民の会』のメンバーに紛れ込んでる可能性があるッスからね」
「コジローくん、偉いわ!」
美樹に褒められて、「いやぁ」と頭をかく。
「そんなことはどうでもいいから、さっさとその写真とやらを出せよ」
逢柝は待ちきれず勝手にコジローのカバンを開けている。
ベッドの上に広げられた『市民の会』メンバーデータから、いち早くスティーブ・沢木を発見したのは、逢柝だった。「カルタ取りとか得意だからな」となぜか自慢げだ。
「だけどさ、これってスティーブ・沢木が今どこにいるかまではわかんないぜ」
「なんとか手を尽くしてみましょうよ」
美樹がガッツポーズをとる。
と、それまで黙って見ていたムジカが、やれやれと言った顔で美樹に話しかけた。
「おまえさぁ、よっぽど恥ずかしかったんだろ?」
美樹は「え? 何が?」ときょとんとしている。
「おばちゃんって呼ばれて、よっぽど恥ずかしかったんだろうなって言ってんだよ」
「はぁあああぁあぁ???」
誰もがムジカの発言の意図をとらえきれない。美樹は頬を赤らめて、わたわたしている。
「――ったく、いい加減気付よ」
「ん? あっ!! ああああああああああああああああああああああああっ!!!」
あまりの大声に、全員が顔をしかめて耳をふさいだ。
「いた! いたのよ! 私に、おばちゃんって!」
「美樹さん、落ち着いて話すッス」
「ええっとね、あまりに恥ずかしくて顔をよく見てなかったんだけど、よく思い出したら、私におばちゃんって言った人がスティーブ・沢木だったの! あー、なんで今まで思い出さなかったのかしら。私のバカっ!」
ぽかぽかと自分の頭を叩く。
「銀幕市での生活に慣れちゃってるってことだろうな。銀幕市は国際色豊かだからね。俺たちは、日本人に外国人が混じってても不思議に思わなくなってるんだ」
純一が解説とフォローを同時にやってのけた。
「でも、どうしてムジカさんは、美樹さんにおばちゃんって言った人物がスティーブ・沢木だってわかったんスか? その場にいたわけでもないのに」
「それ」
そう言って、ムジカはICレコーダーを指さす。
「声が入ってただろ、スティーブ・沢木の」
「え? でも、それだけじゃ……」
「俺は東京に来る前にアルバート・リィに会ってんだよ。声が同じだった」
スティーブ・沢木、イコール、ジョンソン軍曹、イコール、アルバート・リィだ。
「うひゃあ、完全記憶ってホントにすごいッス!」
「で、どうする? そいつを捕まえるんだろ?」
逢柝は心なしかワクワクしているようだ。もともと荒事のほうが得意だ。
「今から会いに行くって言ったって、スティーブ・沢木の自宅なんてわからないし、明日の朝出社するところに声をかければいいんじゃないかしら?」
美樹の提案に反対する者はいなかった。とにかく全員疲れていたのもある。頭の芯がぼうっとして、これ以上は良いアイディアも浮かんできそうになかった。
「ま、休むのも仕事のうちだろうさ」
用が済んだと判断したのか、ムジカはさっさとシャワールームへ向かっている。
「あとはスティーブ・沢木に接触してから考えるしかないんじゃねぇの?」
その言葉が決定的だった。美樹と逢柝は自分たちの部屋に戻り、コジローはその場でベッドに潜り込んでしまった。純一はひとりテレビの電源を入れる。
ムジカがシャワーを浴びる音をかすかに耳に入れながら、ニュース番組を見るとはなしに眺めた。トップニュースはやはり銀幕市長の汚職疑惑の続報だった。
スティーブ・沢木の存在が決め手になればいいのだが、そううまくいくだろうかと、少なからず不安が頭をもたげる。そして、純一にはまだ気にかかっていることがあった。それは、『市民の会』がアズマ超物理学研究所から盗み出したと思われる研究データの件だ。
今ごろは、銀幕市で別働隊がその調査をしているはずだ。そちらにはムービースターも参加している。彼は自分の推測が当たらないことを祈るばかりだった。
−−二日目 東京AM8:00
翌日、ムジカ、純一、コジロー、美樹、逢柝の五人はスティーブ・沢木が『市民の会』事務所に現れるのを待っていた。手順としてはまず美樹が声をかけることになっている。警察であることを明かして協力を求めるのだ。もし沢木が逃走するなど不審な行動をとれば、逢柝が腕っぷしの強さで捕獲することになっていた。
「山梨さんだ」
純一がぽつりと呟いた。会長補佐の山梨が出社してきたのだ。しかし、彼はひとりではなかった。数人の黒服と初老の男がいっしょにビルに入っていく。
純一は直感した。これが昨日山梨が言っていた『大事な客』だ。
同じような直感をムジカも感じている。ただし、感じ方はまるで違った。
「あのじいさん、面白そうだな。もしかしたら――」
言うが早いか、山梨たちに向かってずんずん歩いていく。誰が止める暇もない。
「俺が行くよ」
純一がフォローにまわる。
美樹とコジロー、それに逢柝が逡巡しているうちに、ビルに向かって歩いてくる沢木が見えた。
「あ、来たッス」
「私たちはスティーブ・沢木を」
沢木が山梨らと顔を合わせる前に呼び止めた方がよさそうだった。美樹が走り出し、コジローと逢柝があとを追った。
「山梨さん、おはようございます」
ムジカを追い抜いて、純一が声をかける。
「これはこれは白木くんではないですか」
山梨は昨日と同じ屈託のない笑顔で彼を迎えた。だたし、黒服の方はそうはいかない。自然な動きをよそおって、純一とムジカから初老の男性をかばう位置に移動したのだ。プロの手際と言えるだろう。
純一もムジカもそれには気づいていないふりをする。
「今日は知り合いを連れてきたんです。こちら、ムジカ・サクラさん。彼も『市民の会』に興味があるそうで」
ムジカは不遜そのものの態度で軽く頭を下げた。そして、あろうことか、とても単刀直入に『大事な客』の存在に触れた。
「そちらの方が会長さん?」
軽い調子で話しを振る。田原坂会長の顔くらい完全記憶の持ち主であるムジカが覚えていないはずがない。だとしたらこれは、かまかけの類だ。
山梨があわてて言い募る。
「こちらの方は『市民の会』のお客様です。田原坂会長は、いま銀幕市に出向いてらっしゃいまして、こちらにはいらっしゃいません」
その山梨を押しのけるように、初老の男性が前へ出た。にこやかな笑みを浮かべてはいるが、何を考えているのかわからない。そんな印象の男だ。
「ムジカ・サクラさん。それに、白木純一さんですね。いやいや、銀幕市からわざわざ東京までいらしていたとはねぇ。ジャーナル、読んでいますよ」
正体がばれている。純一は顔面から血の気が引くのを感じた。ムジカはむしろ状況を面白がっているようだ。山梨はどういうことかわからずに、おろおろしている。
「へぇ、ジャーナル読んだくらいで俺のこと覚えてんのか?」
「ええ。私はすべてのジャーナルに目を通していますし、たいていのことは覚えていますからねぇ」
純一はひそかに後方をうかがった。遠くで、美樹たちが沢木を連れて立ち去るところだった。作戦外の行動をとっているのは自分たちの方だ。救援は望めない。
ムジカが眼鏡のフレームを押し上げて問うた。
「あんた、何者だ?」
初老の男は意外とあっさりと正体を明かした。
「皆は私のことを尊師と呼んでいますねぇ」
嘘か誠か。では、この人物が銀幕市のさまざまな事件の裏で暗躍する黒幕なのか。
純一はとっさに逃走経路を確保しようとした――が、すでに黒服たちが二人の退路を断っている。
そして、ムジカは退くどころか、むしろ一歩前に出た。
「こんなところじゃあ、なんだろ? 中でゆっくり話さねぇか?」
あろうことか、自分から敵の手に落ちることを望む。
尊師は心底愉快そうに高笑いをあげると、「山梨さん、この方たちと話しがしたいので部屋をひとつ貸してくださいませんかねぇ?」と、ムジカたちを迎え入れることに決めたようだった。
−−二日目 東京AM9:00
「スティーブ・沢木さんですよね?」
美樹が声をかけると、沢木はとっさに身を翻した。警察手帳を見せる暇もない。
ところが、こういった事態は想定内であり、彼が転進した先には逢柝が待ちかまえていた。
沢木は彼女が空手チャンプであることなど知るよしもなく、「どけっ!」と叫んだ次の瞬間には「ぐっ!」と苦鳴を漏らすこととなった。
「ちょっと、あまり乱暴は――」
美樹の忠告は遅きに失したようだ。逢柝はぐったりとなった沢木を運ぶため、コジローに「そっち、持ってくれよ」などと言っている。
美樹が軽くため息をつくと、逢柝は「もう時間がないんだ。逃がすわけにはいかないだろ?」と楽しそうに笑った。
「仕方ないわね。どこか目立たない場所へ連れて行きましょう」
逢柝とコジローが両肩をかつぐかたちで、四人は素早く移動しはじめた。ムジカと純一のことも気がかりだったが、今は市長の汚職疑惑を晴らす手がかりを得る方が大事だ。
「あたしが行こうか?」
逢柝がムジカたちの方へと顎をしゃくる。美樹は少し逡巡してから、首を横に振った。
「私たちは私たちの務めを果たしましょう」
そうして、美樹たちは近くの喫茶店へと足を運んだ。気絶した人間をあまりに遠くまで運ぶのは、目撃者を増やすことになり危険だ。それに、ムジカや純一に何かあった場合、すぐに駆けつけたいという無意識下の理由もあった。
力無くうつむいたままの沢木に、店員が訝しげな表情をしたものの、美樹が警察手帳を提示すると、その後は我関せずといった感じで席へと案内してくれた。逃げられないように、沢木を真ん中の席に座らせ、両サイドを逢柝とコジローが固める。対面には美樹だ。
逢柝が活を入れると、沢木は目を覚ました。
「うあ――」
自分の置かれた現状に気づき、沢木が悲鳴をあげそうになるのを、コジローが口をふさいで制した。
「スティーブ・沢木さん、落ち着いてください。私はこういうものです」
美樹がそっとテーブルに乗せた身分証に、沢木が目を見開く。
「先ほどは手荒な真似をしてすみません。こちらが身分証を提示する前に、沢木さんが逃げようとなさったものですから」
沢木がおとなしくなったため、コジローは手を放した。
「で、警察がなんのようで?」
つっけんどんな態度は、気絶させられたことだけが原因ではないだろう。コジローも美樹も、彼の挙動からそこは見抜いている。
「スティーブ・沢木さん、あなたはジョンソン軍曹をご存知ですね?」
「知ってるもなにも、『戦場の夕闇』で僕が演じた役だよ」
「オレ、あなたのファンなんスよ」
コジローの笑顔に、沢木は胡乱な目つきを返すだけだ。
「では、これもご存知ですよね。いまワイドショーを賑わせている銀幕市長の汚職疑惑を、告発したのが、そのジョンソン軍曹という名のムービースターなんです」
逢柝は沢木の顔をじゅうじゅう観察した。試合中に対戦相手の表情や身体の動きから行動を予測するのも、重要なスキルだ。しかし、さすがは俳優といったところか、すでに動揺は消え失せ、ポーカーフェイスを保っている。
「知っていますよ。彼のおかげで、僕たち『銀幕市を救おう市民の会』は、現実的に銀幕市を救うことができるのですから」
「その……そのジョンソン軍曹は、今どこでどうしてらっしゃるんでしょうね?」
「行方不明、と聞いていますよ。証言ビデオテープだけを残して、消えてしまったとか。大事な証人ですからね。僕たち『市民の会』も銀幕市中を捜しまわったのですが、見つけることはできていません。もしかしたら――」
「もしかしたら?」
「生きていては困る人たちに消されてしまったのかもしれませんね」
「たとえば?」
「たとえば……柊市長さんとか」
「なるほど、いかにも『市民の会』の会員さんらしい考えね。でも、私たちはもっと違う可能性を追いかけているんです」
そこで初めて、沢木の様子が微妙な変化を表した。逢柝の観察眼がそれをとらえ、美樹にもう一息であることを目配せする。
「たしかにジョンソン軍曹は消されてしまったのかもしれません。でも、それは柊市長の仕業なんかじゃないわ。『市民の会』のみなさんも、警察も、きっと銀幕市の中でしかジョンソン軍曹を捜していない。だって、ジョンソン軍曹はムービースターなんですもの。その先入観が、ジョンソン軍曹を消してしまった」
沢木が目に見えて動揺する。
「あなたがジョンソン軍曹を演じていたのではないですか? スティーブ・沢木さん」
美樹が指摘するのと、沢木が立ち上がるのはほぼ同時だった。
「いったい、あんたたちは何が言いたいんだ!」
コジローが立ち上がり、沢木を抑えようとする。
ところが、コジローよりも素早く動けるはずの逢柝が立ち上がらなかった。むしろ、沢木の腕をつかんで、力任せに下に引っ張った。
正面で立ち上がった沢木が、再び腰を下ろしたことによって、美樹の視界が開ける。四名の黒服が喫茶店のドアをくぐるところだった。
コジローもすぐに気づき、立ち上がったことを誤魔化すために、ちょっぴり不自然な口笛を吹きながらトイレへ向かった。
黒服たちは明らかにムジカたちを取り囲んでいた者たちと同一人物だ。すると、ムジカたちはどうなってしまったのだろう。捕まってしまったのだろうか。奴らは自分たちのことに気づいているのだろうか。
最後の疑問に関しては、おそらく答えはイエスだ。でなければ、このタイミングでこんな場所に来るはずがない。
「ぼ、僕はここだ!」
沢木が唐突に両手を挙げて叫んだ。彼もまた黒服たちに気づいていたのだ。
「こンの、バカ野郎!」
逢柝が毒づいた相手は、沢木ではない。ましてや美樹でもコジローでもない。黒服たちに対して、だ。
彼らのうちの一人が、沢木に冷ややかな銃口と殺意とを向けていた。
ここは日本国の首都・東京だ。魔法に包まれた銀幕市とは違う。殺傷兵器が白昼堂々とのさばってよい場所ではないのだ。
逢柝が椅子を蹴り飛ばした。美樹は咄嗟にテーブルの上へと駆け上がる。
床を滑った木製の椅子が、黒服の足下に襲いかかったとき、すでに逢柝は距離を詰めていた。美樹は拳銃からかばうように沢木を抱きすくめた。
黒服は――最初から威嚇だけのつもりだったのか、直前になって弱気の虫が顔を出したのか――銃を持っていない方の腕で、逢柝を殴りつける。
しゅっと呼気が鳴り、男の拳は横へといなされた。体勢を崩したところに、みぞおちへと正拳突きが決まる。
くずおれる黒背広の向こうから次の敵が迫ってきた。
パーカーのフードをつかまれたが、むしろその引き手を利用して肘打ちを顔面にたたき込んだ。
逢柝は慌てず騒がず、淡々と、ただ冷徹に刺客たちを処理していく。
「オレもいるッスよ!」
トイレに行くふりをして、裏口から黒服たちの背後へと回り込んでいたコジローが、どこから持ち出したのか、金属バットで最後のひとりを殴り倒す。
ものの十数秒で、四つの身体が地面に倒れ伏していた。
「これ、玩具じゃないみたいだぜ」
逢柝がとりあげた拳銃を美樹に手渡す。コジローは、男たちが他にも武器を所持していないか、身体検査をしている。
「邪魔者は消されるってのがサスペンス映画の王道だよな」
逢柝が哀れみをかける先には、うずくまっておびえるスティーブ・沢木がいた。
「沢木さん」
美樹は、膝をつき、沢木と目線を合わせた。
「あなたがやったことを、素直に証言しませんか? 警察は全力であなたをお守りします」
沢木はひとしきり視線を泳がせたあと、うつろな様子で首肯した。
「すみません。警察を呼んでもらえますか?」
美樹が、カウンターの奥に隠れている店員に声をかける。
「ついでに、救急車もな」
逢柝がすかさず付け加えた。
−−二日目 東京AM9:15
前日に純一と山梨が会合した応接室に、今日はムジカと純一と、そして尊師と呼ばれる男がいた。ボディーガードらしき黒服たちはどこかへ消えてしまった。もちろん、黒服たちがスティーブ・沢木の身柄を取り戻しに行ったことを、ムジカも純一も知らない。
尊師は、日本茶を一口すすると「これは美味しいですねぇ」と、ふたりにもすすめた。
純一は多少疑い深く口にするのをためらったが、ムジカが一気に飲み干すのを見て、覚悟を決めたように唇を湿した。
「悪いが、まどろっこしいのは苦手でね」
口火を切ったのはムジカだ。
「あんた、銀幕市でいろいろと事件を起こしてるみてぇがだ、なにが目的なんだ?」
まさに単刀直入。
「それを聞いてどうするんです?」
「銀幕市でアルバート・リィって男に会った」
彼の名を聞いた途端、尊師の顔が曇った。
「アルバート・リィ……彼は元気でしたか?」
「俺にすがりついてくるくらいには元気だったぜ。それから、あんたに対して必死に謝ってたな」
「そうですか……」
沈鬱な声音で、そうつぶやく。
「そのアルバート・リィに会って思ったんだよ。あんたに会ったら是非目的を訊いてみてぇってな。その理想ってやつを、ね」
二人のやりとりをハラハラしながら見つめる純一の前で、尊師はその理想を語りはじめた。
「この世の中には秩序というものが存在しますねぇ。それは人間が造ったものであったり、はたまた神が造りたもうたものであったりします。前者は、たとえば法律や公序良俗の類でしょうかねぇ。後者は、運命や偶然といったものでしょうか。しかし、そのどれもが完全ではありえませんねぇ。秩序に従うことによって、不幸になる人間の方が圧倒的に多いのですから」
「ふん、この世の中の仕組みの中でそいつが幸せになれないんだとしたら、それは単なるそいつの努力不足じゃねぇか」
ムジカの私見に、尊師は含み笑いを漏らした。
「そのように言い切れるのは、あなたが強いからです。ふつうの人間に、あなたほどの気骨はありません。それに、神様の悪戯なんてものは、人の努力でどうこうできるものではありませんからねぇ。銀幕市をよくご存知のあなた方ならおわかりのはず」
尊師の少々皮肉げな物言いに、ムジカもカチンときたのか、語気を強めた。
「あんた、運命論者か? オネイロスだとかティターンだとか、そういう話しはまっぴらだぜ」
「おっと、私が言いたいことはそういったものではありませんねぇ。ところで、白木純一さん、あなたは銀幕ジャーナルを読んでいて、不思議に思うことがありませんか?」
急に話題を振られて、少なからずあわてたものの、なんとか返事をかえす。
「どういうことでしょうか? 話しが漠然としすぎていて……」
「では、もっと具体的に言いましょうかねぇ。銀幕ジャーナルの数百という記事たち。そのひとつひとつに物語があります。では、その結末はどうでしょうか?」
「結末、ですか?」
純一は尊師の言わんとしていることがいまいちつかめない。
「まぁ、九割がた、ハッピーエンドだな」
代わりにムジカが答えた。
「そのとおり! 銀幕市は映画の世界と同じ秩序で動いています。悪は正義に淘汰され、不幸は幸せで塗りかえられますねぇ。もちろん、すべての映画がハッピーエンドに終わるわけではありません。しかし、一部のおせっかいなムービースターやムービーファンたちのおかげで、本来ならバッドエンドであった映画でさえ、銀幕市では内容を修正され、ハッピーエンドへと導かれるのです。これは実は当然のことでしょうねぇ。なにせ映画というものの大半がなにかしらの希望的なエンディングを迎えるようにできているのですから」
純一にもようやく尊師の言う秩序というものがわかりだした。
「すべての出来事が幸せな結末を迎えることに決まっているのですよ。これほど完璧な秩序があるでしょうかねぇ。人間が造り出した秩序も、神が造り出したもうた秩序も、銀幕市の秩序には決してかないません。いやいやいや、人間が造った映画と、神の子が造った魔法と、ふたつの不完全が融合して、完全になったのかもしれませんねぇ」
ムジカはもういいとばかりに手を振った。
「能書きはもういいぜ。だったら、あんたら全員銀幕市に住んで、全員で幸せになりゃあいいさ」
「それではダメなのです」
尊師の黒瞳が底知れぬ狂気の光を映した。
「この世界すべての人々が幸せにならなければ意味がないと思いませんかねぇ? 私たちは今まで、銀幕市のハッピーエンドの秩序がどこまで耐えきれるのか、果たして本物であるのかを確かめるために、さまざまな実験を行いました。銀幕市にバッドエンドをもたらそうと努力したのです。しかし、そのすべてが失敗に終わりましたねぇ。あのレヴィアタンの事件ですらハッピーエンドに終わらせてしまうのですから、私たちの起こした事件など無駄だったとも言えますがねぇ」
「それで、どうして柊市長を追い落とそうとするんです?」
純一が唇を噛みしめつつ訊ねた。ずっと気がかりだったことが、胸の内でじょじょに大きくなっていた。
「柊市長の代わりに、私たちの仲間が銀幕市の市長になるため、ですよ。柊市長を悪に仕立て上げれば、悪を赦さぬ銀幕市の秩序が味方してくれると思ったんですが、考えが甘かったようですねぇ。なにせこうしてあなたたちにすべてを暴かれつつあるのですから」
「さっそく敗北宣言かよ」
ムジカはすでに尊師とその一党に興味をなくしてしまったようだ。訊いてみれば、彼にとってはくだらない理想だったからだ。
ムジカは苛立たしげにシガレットチョコをくわえると、ソファから立ち上がった。
「純一、行くぜ。美樹たちが待ってるだろう」
尊師も彼の行動をとがめたりはしない。逃がさないつもりなら、黒服たちを遠ざけたりはしないだろう。
もしかして、ムジカと純一は伝達役として利用されたのかもしれない。彼らの理想を銀幕市民に伝える役割を担わされた。それがわかっているから、ムジカは不機嫌なのだろう。
「ちょっと、待ってください」
純一が「最後にひとつだけ――」と言い募った。
「あなたたちがアズマ研究所から得たデータ」
尊師がほぅと聞く前から感嘆した。
「そこに気づきますかねぇ」
「もしや、プレミアフィルムを利用したなんらかの兵器ではないのですか?」
「いやはや、銀幕市の秩序というのは、どうにも私たちを悪とみなしたいらしいですねぇ。そこまで露見した状況で最終決戦に挑まねばならないとは」
それが尊師の回答だった。
「そのようなものをエキストラたちが手にしたら、銀幕市はどれほどの混乱に陥ると――」
身を乗り出した純一を、ムジカが抑える。その紫の瞳は、もうここまでだと言っていた。敵が課した伝達の使命を帳消しにするような言動は慎まなければならない。そうしなければ、彼らは用無しとしてここで抹殺されてしまうだろう。
「最終決戦だかなんだか知らねぇが、そんときゃ、あんたもよく知ってるように、銀幕市民は全力で立ち向かうだろうさ」
ムジカはひとつ捨て台詞を残して、応接室の扉を閉めた。
−−二日目 東京PM12:00
東京遠征を果たした五人は、再び一堂に会し、それぞれの報告を終えた。場所は最初に会議を開いたファーストフード店だ。
「スティーブ・沢木がすべてを証言してくれれば、柊市長の嫌疑も晴れるッスね」
「それが物証になるでしょうから、そちらはもう安心じゃないかしら」
コジローと美樹は、話している内容のわりには暗い雰囲気だ。ムジカと純一から尊師の理想や目的を聞いたからだ。
「その尊師って野郎、今度会ったらあたしがぶっとばしてやるぜ」
逢柝はヤケ食いよろしくポテトを大量にほおばっている。
「尊師たちが準備しているであろう兵器に関しても、対策を練らないといけない」
純一は自らの危惧が的中して、こちらも憂鬱そうだ。
「ま、なんにしろ、銀幕市に戻ってからだな」
ムジカがそう宣言して、美樹もコジローも純一も逢柝も、それぞれの想いをもってうなずいた。
この数日後、スティーブ・沢木の証言から『銀幕市を救おう市民の会』は瓦解することになった。と同時に、ロボット入れ替わりの件もあり、柊市長の汚職疑惑も晴れ、ほどなく公務へと復帰することとなった。
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クリエイターコメント | 大変大変お待たせいたしました。 最近このコメントしかしていない気がします。
当たりの物証は「市長の汚職を告発した人物」でした。 白木さんとコジローさんがその点に触れてらっしゃいました。 白木さんは、別シナリオになりますが、ハイテクビル調査の当たりであるプレミアフィルムを使用した兵器に触れてらっしゃいましたので、そういった内容を少し盛り込ませていただきました。
次シナリオが最終決戦となります。よろしければそちらにもご参加ください。 |
公開日時 | 2009-03-24(火) 19:30 |
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